名古屋地方裁判所 平成元年(ワ)2604号 判決 1993年3月24日
原告
甲野春子
同
甲野一郎
右両名訴訟代理人弁護士
山田幸彦
同
北村明美
被告
弓削龍一
被告
医療法人徳洲会
右代表者理事長
徳田虎雄
右両名訴訟代理人弁護士
池口勝麿
主文
一 被告らは、原告甲野春子に対し、各自金一三九七万三六二〇円及びこれに対する昭和六三年二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、原告甲野一郎に対し、各自金八八万円及びこれに対する昭和六三年二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、これを六分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。
五 この判決は、第一、二項につき、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一被告らは、原告甲野春子に対し、各自金一五〇〇万円及びこれに対する昭和六三年二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二被告らは、原告甲野一郎に対し、各自金三三〇万円及びこれに対する昭和六三年二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告医療法人徳洲会(以下「被告医療法人」という。)が経営する名古屋徳洲会病院(以下「本件病院」という。)において、尖圭コンジローマ(以下「本件疾患」という。)の治療を受けた原告甲野春子(以下「原告春子」という。)が、主治医であった被告弓削龍一(以下「被告医師」という。)の不適切な治療によって外陰部から肛門付近に潰瘍を生じ、その結果小陰唇下半分欠損等という後遺障害(以下「本件障害」という。)を残したとして、原告春子において、被告医師に対しては医療行為上の過失による不法行為責任に基づき、被告医療法人に対しては診療契約の債務不履行責任ないしは被告医師の不法行為についての使用者責任に基づき、損害賠償及び遅延損害金の支払を、原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)において、被告医師に対しては不法行為責任に基づき、被告医療法人に対しては被告医師の不法行為についての使用者責任に基づき、原告春子の夫として被った精神的苦痛に対する慰藉料及び遅延損害金の支払を、それぞれ求めた事案である。
一争いのない事実
1 原告春子と原告一郎は昭和三九年頃結婚した夫婦である。
2 原告春子は、昭和六二年一二月二三日、被告医療法人が経営する本件病院に来院し、被告医療法人との間で、本件疾患の治療のために、診察及び適切な医療処置を受けることを内容とする診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結した。
3 被告医師は、本件診療契約締結当時、本件病院の院長及び産婦人科部長であり、その後原告春子の主治医として、その治療を担当した者である。
4 被告医師は、昭和六三年一月五日、原告春子を本件病院に入院させ、同月六日、本件疾患に対し電気焼灼、冷凍療法による手術を施行し(以下「本件手術」という。)、同月九日に退院後は通院治療をし、その後同年三月八日まで入、通院による治療を続けたが、その間、原告春子に対し、5FU(フルオロウラシル)軟膏(以下「本件軟膏」という。)の継続投与を行った。
二争点
1 被告医師の過失ないし被告医療法人の債務不履行
(原告らの主張)
(一)(1) 本件軟膏には皮膚や粘膜に強く作用して皮膚炎、色素沈着、塗布部の痛み、あるいは潰瘍等の副作用を引き起こす危険性のあることが周知の事実であった。
(2) 特に被告医師は、本件疾患に対し、その患部に電気焼灼による本件手術を施しており、その部位の皮膚は一種の火傷状態になっていたのであるから、本件軟膏のような副作用の強い薬物は原則として使用すべきではなく、仮に使用するとしてもその副作用に細心の注意を払うべきであった。
(3) しかるに被告医師には、本件手術直後から一週間以上にわたって本件軟膏を投与した過失、昭和六三年一月二〇日頃から本件疾患の患部にびらんや潰瘍の形成が認められるようになった後も本件軟膏の投与を継続した過失及び同月六日以降原告春子に本件軟膏のチューブを繰り返し交付し、同原告が外来通院する都度被告医師において本件軟膏を塗布するほかに、同原告自身に自宅で適宜塗布させた過失がある。したがって、被告医療法人の本件診療契約上の債務の履行は不完全であった。
(二)(1) 本件軟膏投与の結果、原告春子の外陰部から肛門付近まで、激痛を伴う火傷状の潰瘍(薬物性皮膚炎、以下「本件潰瘍」という。)を生じた。
(2) 被告医師は、本件手術後一か月を経過した昭和六三年二月初旬頃において、本件潰瘍がなお治癒しない状態が続いていたのであるから、植皮手術などの形成外科上の処置をなすべきであったにもかかわらず、これを怠った過失がある。この点においても、被告医療法人の前記債務の履行は不完全であった。
(被告らの主張)
(一) すべての薬剤には、大なり小なり副作用が予測されるものであり、臨床医としては、投薬にあたり「治療の必要性と副作用との比較衡量」及び「治療効果の発現と副作用の発現との比較衡量」という二つのバランスを時々刻々に把握しながら治療を続けていくのが職責である。
(二) この点、本件疾患は、ウィルス性のものであって、本件手術のみによっては完治させることはできないから、本件軟膏の使用が必要であった。
(三) そして、被告医師は、原告春子の症状を経過観察しながら本件軟膏を投与し、これを原告春子に交付して自ら塗布させる場合にも、同原告に対し、同原告の手で塗布させながら正しい塗布部位を何度もていねいに教えていたところ、原告春子が突然被告病院に来院しなくなったことで、その管理ができなくなった。
(四) 原告春子が被告病院に来院しなくなった当時、同原告の症状は快方に向かっていたものであって、それまでの被告医師の医療行為に過失はない。被告医師の管理を勝手に離れた結果として原告春子の症状が悪化したとしても、それは同原告自身の責任によるものである。
(五) したがって、被告医療法人の本件診療契約による債務の履行に不完全なところはなく、仮にあったとしても、被告らの責めに帰すべき事由によるものではない。
2 原告春子の損害(同原告の主張)
原告春子は、被告医師の過失ないし被告医療法人の債務不履行により、本件潰瘍によって激痛に苦しめられながら長期の療養を余儀なくされた上、小陰唇下半分欠損等という本件障害を負うに至った。その損害額は、以下の合計金二九九三万七二九〇円である(本件請求はその一部請求である。)。
(一) 治療費
四七万二四九〇円
(1) 本件病院 一四万三九九〇円
(2) 福井産婦人科病院
五万一〇三〇円
(3) 大雄会病院 二五万七七七〇円
(4) 白山外科クリニック 九五六〇円
(5) 藤山台診療所 一万〇一四〇円
(二) 入院雑費 五万三〇〇〇円
以下の入院期間のうち、少なくとも五三日分につき、一日あたり一〇〇〇円の割合の入院雑費が必要であった。
(1) 本件病院
昭和六三年一月五日から同月九日まで、同月二一日から同月二七日まで及び同年二月一六日から同月二七日までの合計二四日間の入院
(2) 福井産婦人科病院
同年三月一〇日から同月一六日までの七日間の入院
(3) 大雄会病院
同年三月一七日から同年四月一八日までの三三日間の入院
(三) 付添費 二六万五〇〇〇円
右入院期間のうち、少なくとも五三日分につき、一日あたり五〇〇〇円の割合の付添費が必要であった。
(四) 通院交通費
一五万七二〇〇円
(1) 本件病院 一万一六〇〇円
(バス往復四〇〇円、通院日数二九日分)
(2) 大雄会病院 一四万五六〇〇円
(タクシー往復一万〇四〇〇円、通院日数一四日分)
(五) 休業損害
一五七万五二〇〇円
原告春子は、本件診療契約締結当時、寿司丸忠に一か月二五日、一日八時間宛勤務していた。その一時間あたりの給与は、平日七〇〇円、日曜八〇〇円であったので、月平均一四万三二〇〇円の収入を得ていた。
原告春子が被告らによる医療過誤によって勤務できなかった期間は一一か月であるから、その休業損害は一五七万五二〇〇円である。
(六) 傷害慰藉料 五〇〇万円
(七) 逸失利益
一三七一万一四四〇円
昭和六一年度の賃金センサスによる四三歳の女子労働者の平均賃金(産業計、企業規模計、学歴計)は年二五二万八〇〇〇円、本件障害による原告春子の労働能力喪失率は三五パーセント、本件診療契約締結当時原告春子の年齢は満四三歳であったことから、右平均賃金に右労働能力喪失率を乗じ、さらに六七歳まで稼働できるとして満四三歳に相当する新ホフマン係数(15.5)を乗じた金額が原告春子の逸失利益である。
(計算式 2,528,000×0.35×15.5
=13,714,400)
(八) 後遺障害慰藉料五七〇万円
(九) 弁護士費用 三〇〇万円
3 原告一郎の損害(同原告の主張)
原告一郎は、原告春子の夫として同原告の肉体的精神的苦痛を軽減しようと努めて自分の仕事も十分できず、また同原告の本件障害によって夫婦生活も奪われることになった。その損害額は、以下の合計金三三〇万円である。
(一) 慰藉料 三〇〇万円
(二) 弁護士費用 三〇万円
第三争点に対する判断
一被告医師の過失
1 本件軟膏を使用したことの当否について
(一) 本件疾患
<書証番号略>及び被告弓削龍一本人尋問の結果によれば、本件疾患はヒト乳頭ウィルス感染による多発性の良性腫瘍であり、その治療方法には、外科的療法としての切除、電気焼灼、凍結療法があり、薬物療法として本件軟膏、ボドフィリン、ブレオマイシン軟膏の塗布があり、これらの治療方法がその症例に応じ適宜使い分けられ、あるいは併用されていることが認められる。
(二) 本件軟膏
<書証番号略>によれば、本件軟膏は、ピリミジン拮抗性抗腫瘍剤で、皮膚悪性腫瘍に対し強い効能を有するものの、その副作用として塗布部の疼痛、発赤、びらん、潰瘍を惹起することがあり、殊に患者に持たせて自由につけさせるとかなりひどい潰瘍を形成することにもなると知られている事実が認められる。
(三) 原告春子の初診時の症状
<書証番号略>及び被告弓削龍一本人尋問の結果によれば、原告春子には、本件病院において被告医師の診察を初めて受けた時点で、本件疾患の症状がかなり広範囲に蔓延しており、多数のコンジローマ収束部位が発生していた事実が認められる。
(四) (一)認定の本件疾患の特性及び(三)認定の原告春子の症状によれば、同原告の本件疾患を根治するためには、電気焼灼、凍結療法の外科的療法のみで十分であったとはいい難く、被告医師が外科的療法のほかに薬物療法を併用したことが不相当であったということはできない。
そして、(一)認定のとおり、本件軟膏には本件疾患に対する適応もあるのであるから、本件軟膏の副作用として塗布部にびらんや潰瘍を惹起する危険があったとしても(本件軟膏の使用によって当然に右副作用による重大な傷害が生じることを予見できると認めるに足りる証拠はない。)、そのことから直ちに被告医師が本件軟膏を使用する治療方針を採用したこと自体に過失があるとまではいえない。
2 本件軟膏使用上の注意義務について
(一) 原告春子の本件病院における入通院経過
前記争いのない事実4項、<書証番号略>、原告春子及び被告弓削龍一各本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。
(1) 原告春子は、昭和六二年一月六日に本件手術を受け、同月九日退院し、以後通院治療を受けたものの、同月二一日本件病院に再入院、同月二七日退院、同年二月一六日再々入院、同月二四日退院し(最後の退院日は<書証番号略>によって認め、これに反する<書証番号略>及び原告甲野春子本人尋問の結果における各該当部分は採用しない。)、以後同年三月八日まで本件病院で通院治療を受けた。
(2) 被告医師は、本件手術以降、原告春子が本件病院への通院を止めるまで本件軟膏の投与を継続していた。
(3) 原告春子の症状は、本件手術前においては痛みを伴うものではなかったが、同月九日には外陰部が沁みるようになり、同月一一日には同部にびらん及び腫れが生じて痛みが伴うようになった。同月一三日以降も外陰部のびらん及び痛みは治らず、同月二一日には外陰部潰瘍と診察され、また、痛みが肛門部にも及ぶようになり、同月二三日さらに膣前庭部潰瘍と診察され、翌二月一五日会陰部に皮膚炎が認められるようになり、同月二八日外陰部、会陰部、肛門周囲潰瘍と診察され、翌三月八日に至っても痛みは軽減せず、潰瘍も治癒しないままであった。
(二) 本件潰瘍の原因
(1) 被告弓削龍一本人尋問の結果によれば、本件手術を施した部位に電気焼灼による火傷が生じたことが認められる。
(2) しかし、<書証番号略>及び被告弓削龍一本人尋問の結果によれば、本件潰瘍は、その後本件手術直後の火傷よりも悪化しており、電気焼灼を施した部位のみならず、電気焼灼を施していない肛門の周囲にまで潰瘍が及んだ事実が認められる。また、証人鈴木康治の証言によれば、電気焼灼による火傷だけで患部の治癒が二か月も遷延することは通常ありないことも認められる。したがって、電気焼灼による火傷のみが本件潰瘍の原因であるということはできない。
(3) 被告医師が、原告春子に対し、本件手術の外、本件軟膏を継続して投与していた事実は、争いのない事実であり(第一、一4)、<書証番号略>及び被告弓削龍一本人尋問の結果によれば、その投与は短くとも昭和六三年三月四日まで継続されていた事実が認められる。そして、本件軟膏が皮膚に対して悪影響を及ぼす副作用のあることは、1(二)認定のとおりである。
(4) <書証番号略>及び被告弓削龍一本人尋問の結果によれば、被告医師自身も、原告春子を治療していた当時において、薬物による皮膚炎が同原告に生じたと認識していた事実が認められるところ、本件全証拠によっても、本件軟膏以外に右皮膚炎を惹起せしめたと考えられる薬物が使用されたことを認めることはできない。
(5) 以上によれば、本件潰瘍は、本件軟膏の使用によって、本件手術の術部の皮膚の回復が遷延、悪化するとともに、それが右術部周辺に及んで皮膚炎が拡大した結果生じたものであると認められる。
(三) 被告医師の注意義務違反
(1) 1(四)において説示したとおり、本件軟膏を使用する方針を採用したこと自体について被告医師に過失があるとはいえないものの、1(二)認定のとおり本件軟膏には強い副作用の危険がある上に、原告春子は電気焼灼術によって患部が火傷状態になっていたのであるから、被告医師としては、本件軟膏の使用にあたり、その副作用による悪影響を最小限に止めるために、本件軟膏が過度に使用されることのないよう慎重に配慮すべき注意義務があったというべきである。
(2) <書証番号略>、原告春子及び被告弓削龍一各本人尋問の結果によれば、被告医師は、本件軟膏を自ら原告春子の患部に塗布した他、昭和六三年一月一一日以降繰り返しチューブ入りの本件軟膏を原告春子に交付し、その自宅において患部に塗布させていた事実が認められる。そして、前記認定のとおり、本件軟膏には強力な副作用があり、かつ、原告春子の患部は電気焼灼術による火傷状態にあったのであるから、本件軟膏の使用にあたっては、特に慎重な使用が求められるところ、被告医師が原告春子(同原告本人尋問の結果によれば、同原告は、本件軟膏の危険性等について何の予備知識も有していなかったと認められる。)をしてその自宅において医師の指導の及び難い状況の下で本件軟膏を使用させていたことは、著しく妥当性を欠いた処置というべきである。
(3) 被告弓削龍一は、その本人尋問において、原告春子に対して本件軟膏の危険性等について十分説明したとの供述をしている。しかし、<書証番号略>及び被告弓削龍一本人尋問の結果によれば、被告医師は本件潰瘍に対し、本件軟膏と併行してリンデロンVG軟膏やキシロカインゼリーを投与することで消炎、鎮痛に努めていたことが認められるところ、<書証番号略>の記載及び原告甲野春子本人尋問によれば、同原告は、与えられた複数の種類の軟膏について、その効用や使用方法について、区別した認識をもっていないことが認められ、このことからすると、原告春子は、皮膚に悪影響を与える本件軟膏と消炎、鎮痛のためのリンデロンVG軟膏を区別せずに使用していた事実が推認される。右事実によれば、被告医師が原告春子に対し、本件軟膏その他の処方薬物の各効能について、原告春子が十分認識するに足るだけの説明をしていなかったことが窺われる。
(4) 被告医師は、その本人尋問において、原告春子に対し、本件軟膏の用法につき、塗布する部位について指導した上、健常な部位に塗布してはいけないとの注意を与えたと供述している。しかし、そもそも本件疾患の患部は陰部であり、原告春子本人が患部を直接視認しながら患部のみを選択して本件軟膏を塗布することが困難であるばかりか、右患部は摩擦部であるため歩行その他によって塗布された本件軟膏が塗布部位以外に付着することは容易に起こり得る事態である。したがって、仮に被告医師が右のような指導、注意をしたとしても、適切な指示がなされたものということは到底できない。
(5) また、(一)(3)認定のとおり原告春子の症状の悪化が進み、かつ(二)(4)認定のとおり被告医師はその原因が本件軟膏であることを認識していたにもかかわらず、(二)(3)認定のとおり被告医師は本件軟膏の投与を止めなかったものであり、この点においても被告医師の処置は著しく妥当性を欠くものであったというべきである。
(6) 被告医師は、その本人尋問において、本件の場合には、本件軟膏をその副作用にもかかわらず使う必要があったとの趣旨の供述をしている。しかし、<書証番号略>、証人鈴木康治の証言、被告弓削龍一本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件疾患は良性腫瘍であることが認められ、他方<書証番号略>、証人鈴木康治の証言及び原告甲野春子本人尋問の結果によれば、原告春子は、本件軟膏の投与によって重大な本件潰瘍が生じ、そのために、自殺を考える程深刻に精神的な苦痛を受けとめていたことが認められる。そして、本件全証拠によっても右のような甚大な苦痛を原告春子に与えてまで本件疾患を早急に治療しなければならない必要性があった事情は見い出せない。したがって、被告医師の右供述を採用することはできない。
(7) 以上によれば、被告医師が本件軟膏を投与するにあたり、その副作用を最小限に抑えるため、本件軟膏が過度に使用されることのないよう慎重に配慮すべき注意義務を尽していなかったというべきである。
二原告らの損害
1 本件病院への入通院を止めた後の治療経過
(一) <書証番号略>、証人鈴木康治の証言、原告甲野春子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 原告春子は、被告医師による治療によっても、本件潰瘍が快方に向かわないため、本件病院に通院することを止め、自宅近くの福井産婦人科に、昭和六三年三月九日及び一〇日に通院し、同月一一日から同月一六日まで入院した。
(2) 福井産婦人科入通院中の原告春子の症状は、外陰部の大陰唇及び小陰唇の全部付近の有痛性の潰瘍と、その後部から会陰部及び肛門周囲にかけて広範なびらんがあったと診断されている。福井産婦人科における本件潰瘍に対する治療は、ゾビラックス点滴、強力ネオミノファーゲンCの静脈注射、創面にソフラチュールガーゼを貼付するものであり、その効果によって自他覚症状とも漸次軽快しつつあったが、十分な好転には至らなかった。
(3) 原告春子は、福井産婦人科において皮膚移植の話を聞き、同月一七日から同年四月一八日まで形成外科のある大雄会病院に入院して、鈴木康治医師(以下「鈴木医師」という。)の執刀により、皮膚移植手術を受けて本件潰瘍を治療した。
(4) 同病院入院当初の原告春子の症状は、陰部に体表面積約二パーセントについて熱傷三度に相当する薬物性潰瘍があり、右潰瘍は少なくとも二週間以上前に被った受傷に基づくものであった。
(5) 鈴木医師は、本件潰瘍による皮膚欠損部に腹部及び大腿部の皮膚を移植したが、小陰唇の部分は構造上植皮再建が不可能であるため、皮膚欠損が多かったにもかかわらず、欠損のままとした。
(6) 原告春子は、退院後も術後の治療のために同病院及び同病院から紹介された白山外科クリニックに通院する一方、本件潰瘍によって1(三)(6)で認定した精神的苦痛によって発症した神経症、不眠症を治療するため、藤山台診療所に通院した(通院期間昭和六三年四月二〇日から同年八月一八日、通院日数一四日間)。
(7) 本件潰瘍が治癒したのは昭和六三年一一月二四日であったが、精神・神経の後遺障害として、陰股部瘢痕部分(会陰を中心に横径九センチメートル、縦径一四センチメートル)の知覚障害、生殖器・泌尿器等の後遺障害として、陰股部瘢痕(皮膚付属器、汗脂線の欠損)、外性器部分欠損が生じた。そのため、原告春子は、右瘢痕部が起立歩行によってただれやすくなり、長時間の起立歩行や自転車の利用は苦痛が伴う。また、外性器粘膜部瘢痕部分は極めてびらんを起こしやすくなっているため、平成四年三月に至るも毎月びらんしている状況である。
(二) 被告らの主張について
(1) 被告らは、原告春子が本件病院に通院しなくなった昭和六三年三月八日ころ、同原告の症状は快方に向かっていたのだから、被告医師の管理を離れた後に症状が悪化したとしても、それは被告医師の責任ではない旨主張している。そして、この主張に沿う証拠として<書証番号略>及び被告弓削龍一本人尋問の結果があり、これらによれば、同月一日の診察では外陰部びらん潰瘍は次第によくなっており、同月三日の診察では潰瘍化が止まって上皮化が見られていた事実が認められる。
(2) しかし、<書証番号略>によれば、同月四日の診察では外陰部が痛み、特に本件軟膏を塗ると痛みが強まり、同月六日の診察でも痛みが続いており、同月七日においても外陰部潰瘍は存していた事実が認められる。右事実と(一)(2)及び(4)認定の事実を合わせて思料すれば、前項の事実だけではいまだ確実に快方に向かっていたとは認めがたい。
(3) むしろ、被告弓削龍一本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被告医師は昭和六三年三月時点にあっても依然として本件軟膏を継続投与する治療方針を変えていなかったのであるから、もしそのまま被告医師が治療を継続していれば、本件軟膏の副作用により、かえって本件潰瘍が悪化したことすら十分ありえたと考えられる。
(4) 以上によれば、(1)認定の状況下で原告春子が本件病院への通院を止めたからといって、被告医師にその診療上の過失がなかったとはいえない。
2 原告春子の損害
(一) 治療費
合計 四二万四七二〇円
原告春子の本件潰瘍の治療経過は、一1(一)(1)ないし(3)、二1(一)(1)ないし(7)認定のとおりである。
(1) 本件病院 九万六二二〇円
<書証番号略>によって認める。本件病院における治療費のうち被告医師の不法行為と因果関係があると認められるのは、被告医師が原告春子に対し注意義務に違反して本件軟膏を持ち帰らせた昭和六三年一月一一日以後原告春子が本件病院に最後に通院した同年三月八日までに支払われた部分である。昭和六三年一月九日に本件病院を退院した以前の治療は、本件疾患の治療行為として不相当なものであったと認められないから、それに要した費用は被告医師の不法行為による損害とは認められない。また、同年三月九日以降の治療について支払分は、原告春子が本件疾患ないし本件潰瘍の治療のための通院を止めており、いかなる趣旨で被告医療法人に支払ったものかが証拠上明らかでないので、被告医師の不法行為による損害とは認められない。
(2) 福井産婦人科医院
五万一〇三〇円
<書証番号略>によって認める。
(3) 大雄会病院
二五万七七七〇円
<書証番号略>によって認める。なお、診断書作成手数料も被告医師の注意義務違反によって必要となった治療に付随する費用として相当因果関係を認める。
(4) 白山外科クリニック 九五六〇円
<書証番号略>によって認める。
(5) 藤山台診療所 一万〇一四〇円
<書証番号略>によって認める。
(二) 入院雑費 五万三〇〇〇円
入院雑費は、入院一日につき一〇〇〇円を相当と認め、原告が主張する範囲内で、次の入院期間のうち五三日分についてこれを認める。
(1) 本件病院
昭和六三年一月二一日から同月二七日及び同年二月一六日から同月二四日の合計一六日間の入院期間に入院雑費を要したことが認められる。なお、昭和六三年一月九日以前の入院にかかる雑費を認められないのは前記(一)(1)と同様である。
(2) 福井産婦人科医院
同年三月一一日から同月一六日の六日間の入院期間に入院雑費を要したことが認められる。
(3) 大雄会病院
同月一七日から同年四月一八日の三三日間の入院期間に入院雑費を要したことが認められる。
(三) 付添費 一八万五五〇〇円
<書証番号略>によれば、前項掲記の入院期間について近親者の付添いが必要であったと認められる。その付添費を入院一日あたり三五〇〇円と認め、原告が主張する範囲内で、五三日分についてこれを認める。
(四) 通院交通費
一五万六四〇〇円
(1) 本件病院 一万〇八〇〇円
<書証番号略>によれば、原告春子が昭和六三年一月一一日から同年三月八日までの間に同病院に通院した日数は二七日と認められ、弁論の全趣旨により交通費は往復四〇〇円と認められる。
(2) 大雄会病院 一四万五六〇〇円
<書証番号略>によれば、原告春子が本件潰瘍治療のため大雄会病院に通院したのは昭和六三年三月一六日から同年一一月二四日の間の一四日以上であると認められ、弁論の全趣旨により交通費は往復一万〇四〇〇円と認められるので、原告が主張する範囲内の一四日分についてこれを認める。
(五) 休業損害
一五七万五二〇〇円
<書証番号略>、原告甲野春子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告春子は、本件診療契約締結当時、株式会社寿司丸忠に一か月二五日、一日八時間勤務し、その一時間あたりの給与は、平日七〇〇円、日曜八〇〇円で、月平均一四万三二〇〇円の収入を得ていたが、本件医療過誤によって、昭和六三年一月から同年一一月までの一一か月間就労できなかった事実が認められる。これによれば、原告春子の休業損害は前記金額と認められる。
(六) 傷害慰藉料 一五〇万円
前記認定の負傷の部位、程度及び入通院の期間から相当と認められる傷害慰藉料は一五〇万円である。
(七) 逸失利益
五三〇万八八〇〇円
原告春子の後遺障害は1(一)(7)認定のとおりである。しかし、他方、原告甲野春子本人尋問の結果によれば、患部が擦れなければ痛みを生じることもない事実が認められる。また、本件全証拠によっても、右後遺障害によって原告春子の生殖機能そのものが害されたと認めるに足る事情は見いだせない。
以上によれば、同原告の後遺障害は、労働に通常差し支えないが、長時間の動作によって強度の痛みが生じて差し支えるものであり、その労働能力喪失率は一四パーセントであると認めるのが相当である。
これに対し、原告らは、前記寿司丸忠勤務時の収入と本件障害を負った後に現在勤務している「太助」における収入を比較すれば、年間九八万六三〇〇円の減収があり、労働能力喪失率は右にとどまるものではない旨指摘しているが、今後の同原告の収入が右金額以下にとどまると認めるに足りる証拠はなく、右のような比較によって労働能力喪失率を認定することは相当でないというべきである。
<書証番号略>及び原告甲野春子本人尋問の結果によれば、同原告は主婦業の傍ら前記寿司丸忠に勤務していた事情が窺われるので、前記寿司丸忠の収入金額にかかわらず、主婦としての労働寄与分も考慮して、本件医療過誤がなければ本件潰瘍治癒の日から六七歳に達するまでの間少なくとも昭和六一年度賃金センサス第一巻第一表・女子労働者・産業計・企業規模計・学歴計・四四歳の平均収入額年二五二万八〇〇〇円を得ることが可能であったと推認される。
したがって、右金額を基礎収入とし、前記労働能力喪失率を乗じた額から新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出した、金五三〇万八八〇〇円が逸失利益であると認められる。
(計算式 2,528,000×0.14×15.0
=5,308,800)
(八) 後遺障害慰藉料 三五〇万円
原告春子の逸失利益額が前項認定のとおりであるものの、外性器欠損という本件障害は現実の財産的損害以上により重大な精神的苦痛を与えるものである。また、本件障害は、本件疾患治療の結果として生じたものであるところ、そもそも本件疾患は良性のものであって、かかる重大な障害を残すことは通常予想されないことであって、被告医師の治療行為の結果かえって事態が悪化したものであり、この点についての原告春子の苦痛も考慮しなければならない。
以上によれば、原告春子の本件障害に対する慰藉料は三五〇万円が相当である。
(九) 弁護士費用
(一)ないし(八)によれば、被告医師の医療過誤による原告春子の損害は一二七〇万三六二〇円と認められるので、この請求に要する弁護士費用のうち、被告に負担させるべき金額は、昭和六三年二月二八日に遡って算定した額として一二七万円が相当であると認める。
以上によれば、原告春子の損害は金一三九七万三六二〇円である。
3 原告一郎の損害
(一) <書証番号略>によれば、原告一郎は、原告春子の苦痛について同原告の夫として心を痛めたばかりでなく、本件障害を苦にして原告春子が性交渉を拒むため、事実上夫婦生活ができない状況にあることが認められる。
右状況の外、本件諸般の事情を斟酌すると、原告一郎の精神的苦痛に対する慰藉料として、金八〇万円が相当であると認められる。
(二) 右慰藉料の請求に要する弁護士費用のうち、被告に負担させるべき金額は、昭和六三年二月二八日に遡って算定した額として八万円が相当であると認める。
以上によれば、原告一郎の損害は金八八万円である。
4 遅延損害金
(一) 原告春子及び原告一郎は、それぞれ、前示の損害額につき、被告医師に対しては不法行為に基づき、被告医療法人に対しては被告医師の不法行為についての使用者責任に基づき、各自、損害賠償請求権がある。右損害賠償請求権についてはその不法行為時に遅滞におちいるものと解される。
(二) 前記一2(3)の認定事実によれば、原告春子の本件潰瘍は、昭和六三年一月一一日にびらん及び腫れが生じ始め、同月二一日には外陰部潰瘍と診断され、それが順次広がって翌二月二八日には外陰部、会陰部、肛門周囲に及び、最も重い症状を呈していたことが明らかである。そうすると、被告医師の過失ある行為によって、少なくともこの時期に原告らの損害発生の原因が形成されていたものとみることができるので、右時期をもって本件不法行為時であると認めるのが相当である。
(三) そうすると、原告らの本件損害賠償請求権は昭和六三年二月二八日に遅滞におちいり、この時より民事法定利率年五分の割合による遅延損害金が発生する。
三結論
よって、原告春子の本訴請求は金一三九七万三六二〇円及びこれに対する昭和六三年二月二八日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、原告一郎の本訴請求は金八八万円及びこれに対する昭和六三年二月二八日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、原告らのその余の請求はいずれも理由がないから棄却することとする。
(裁判長裁判官大内捷司 裁判官矢尾渉 裁判官住山真一郎)